真山誠太郎

1993年に演歌浪曲生みの親である真山一郎師に弟子入り。
94年に真山誠太郎と命名され、以後、演歌浪曲一筋に歩む。
国立文楽劇場、上方演芸特選会などの舞台のほか、NHKの
上方演芸ホールや浪曲十八番などに出演。主な演題に
「刃傷松の廊下」「日本の母」「ああヒロシマ」など。


芸術文化功労者大阪府知事 表彰

若葉萌えて青葉の季節へと移り変わり、小鳥も楽しそうに囀り楽天の好季五月晴れの野空を吹き渡るみどりの微風を腹一杯に飲み込みすいすいと大空を我が物顔で泳ぐ鯉幟を眺める端午の節句、5月3日の憲法記念日の良き日、文化芸術部門で真山誠太郎、大阪府知事より芸術文化功労者として表彰を受けました。
これは彼一人の喜びではなく公益社団法人浪曲親友協会全体の名誉だと思っています。

彼は平成5年6月に初代真山一郎に師事、真山日出男と命名。演歌浪曲の奥義を極めるため、風雪の厳しさに耐え研鑽を重ね遂に音楽演奏による公演技芸を習得したのを契機に心機一転、芸名を真山誠太郎と改名以来幅広く活躍、平成18年4月社団法人浪曲親友協会理事就任、平成23年7月退任、絶えず浪曲文化発展向上及び後継者育成にも全力投球重ねています。以上のような功績が今回の栄冠に輝いたと言っても決して過言ではないように思っている処です。彼は今日も元気溌剌と何処の空の下で唸っていることでしょう。